琉神先生
プロフィール
[ユタになるまでの道のり]
先祖代々、ユタ家系の長女として生まれました。幼い頃は体も弱く入院ばかりしてました。
私の記憶に残っている幼い頃の体験は幼稚園の頃の出来事です。
毎晩、同じ夢を見ました。家を出て東の方向に真っ直ぐに歩いて行き草むらを導かれるように歩いているのです。すると川に沈んだ墓(沖縄のカーミ墓)を発見するのです。
すると目が覚め足元を見ると小さな擦り傷だらけなんです。サトウキビ畑を裸足で歩いた時の傷が残っているのです。その頃は、何を意味するかまでは分りませんでした。
後に分った事は、米軍基地の中にムンチュー墓があり湧き水のせいで墓の中のお骨が全て水につかってしまっていたという事でした。お骨を寺に納骨する事で、私も夢を見なくなりました。
小学校3年生の頃、実家の周りはまだ自然が残っていました。
近所に山があり友達と肝試し、という事で山の中の防空壕後に興味本位で入った所、日本兵の男の人の姿が薄っすらと暗闇の中から現れたのです。
友達は、当然見えてないです。怖くなった私は声も出ませんでした。目を強く閉じてもその映像は見えるのです。
するとその男の人は岩の間を指差すのです。
怖いながらも目をあけて指差した方向に懐中電灯の光を当てて、岩をどけて見ると人間の頭部の部分の骨が出てきたのです。骨は、後頭部の部分が割れていて一部がありませんでした。友達は恐怖のあまり声も出せずに硬直していました。
私もはじめは怖かったのですが、だんだん恐怖心が薄らぎ冷静に考える事ができ、友達の手を引き防空壕を後にし家に帰って人骨の事を話すと、母が村の町長さんに連絡し警察の方と一緒に骨を拾いました。
その後の事までは分りませんが、お骨は何処かに埋葬されたと思います。
小学校5年生の頃の出来事です。
学校の授業の一環で沖縄戦について学ぶ機会があり、それは学校から代表で数名ですが防空壕後に入る事を体験するものでした。
防空壕の前に来ると、私は、なぜか恐怖心を抑える事が出来なかったのです。しかし言われるままに狭い入り口から中へと進みました。数名の代表者は、後の資料作成のため防空壕の中で写真を何枚も撮っていました。
私は、説明するガイドの方の声も耳に入ってこなかったのです。聞こえるのは無数のうめき声だけでした。頭と肩に痛みが走るくらいの重たさを感じたまま防空壕を後にしました。
家に帰るなり、祖母が顔色を変え、拝みの準備を始めたのです。しかし時すでに遅しで、その晩、高熱を出して救急車で総合病院に搬送されました。病名は肺炎でした。
入院し、病棟のベッドで横になっていたら、数人の女性や子供の姿が見えたのです。防空頭巾をかぶっている人、ボロボロのシャツを着た人、子供の手を握っている人、私は、その時、感じたのです。この人達の苦しみを授業の一環とはいえ、ずかずかと土足で防空壕の中に入り、そのうえ写真も撮ってしまった事を心から反省しました。陳謝の念を伝えました。
すると白い霧のようなものと共に姿が消えました。
祖母は、私が入院中に、拝みをしに防空壕後まで行ったそうです。退院し学校に行くと、その時に撮影した写真は全部現像不可能だったそうです。また、そこで亡くなられた方の死因は、煙による窒息死だったそうです。私が肺炎になるのも納得しました。
[神ダーリ]
私は、高校を卒業と同時に体の異変を感じました。
就職はしましたが、毎日、仕事をして帰宅するのが精一杯な状態でした。
症状は、毎日が日替わりメニューのように、頭痛、嘔吐、胸の痛み、首、腰の痛み、あまりにも腰や首、肩の痛みが酷く、左足、両手の指が麻痺する日もありました。病院に行っても原因不明でどうする事も出来ませんでした。しまいにはパニック症候群になり自律神経になってしまって、外出も一人で出来ないくらい症状は悪化しました。
毎日が安定剤の薬漬けで、飲んでも効かなく、仕舞には一週間の薬を一日で飲むくらい酷い状態でした。
毎日が生き地獄のような生活を約7年近く過ごして、少し体調がよくなってきた、と思ったら憑依体質になってしましました。
以前は、夢や霊を見る程度でしたが、今度は、先祖の方が私の体を借りて話すのです。
私は、頭の中は冷静で、話している内容も理解できます。憑依した人の年齢や性別、また、続柄等までもが分るようになったのです。怖い反面、あの世がある事を改めて身をもって実感しました。
先祖様からの伝言や拝み等をする事で状態は落ち着いてきました。神ダーリが始まってから、体調がいい日は鑑定業をしながら修行の日々をすごしていました。しかし毎日が地獄のような日々で体調がよくないため、一日に数人しか相談に乗れない日やぜんぜん受け付けることのできない日もありました。
今、振り返ると本当に辛い日々でした。
唯一の救いは鑑定を受けた方が元気に明るくなっている姿を拝見する事です。それで乗り切る事ができました。
体調もよくなり薬や病院に行かなくても良くなったので、以前から話があった大阪で仕事をする事を決意し、大阪に在住する事になったのです。知人のもとから会社に通い、毎日が楽しい日々を過ごす事ができました。
大阪に居ながらも、沖縄から鑑定の依頼は後を絶ちませんでした。助けたい、と思う反面、もう二度と地獄のような生活に戻りたくない、との思いとの間で悩み苦しみました。
平成14年、9月に祖父の容態が急変して沖縄に呼ばれ大阪を離れる事になったのです。
約1年は、実家でもとのように鑑定業に従事していました。その後、再び大阪に移住し結婚しました。
現在に至っています。
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